大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和30年(オ)75号 判決

上告人 田辺トミ(仮名)

被上告人 田辺太作(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

論旨第三点は、原判決に理由齟齬の違法があると主張するが、原審は、上告人が被上告人のかねて疑惑不快の念を抱いて居た佐野一夫(被上告人方の元雇人)と昭和二四年五月頃以降久しきに亘つてその居を共にし被上告人方に帰来しない所為は、被上告人に対する関係に於て所謂不良行為又は悪意の遺棄行為に該当しない場合であつても、少くとも婚姻生活の円満、維持に心すべき妻の所為として甚だ穏当を欠くものであり、これら上告人の所為は被上告人の所為と共に民法七七〇条一項五号に所謂婚姻を継続し難い重大な事由のある場合に該るとの趣意を判示して居るのであつて、所論の点につき所論違法はない。

その余の論旨は、民法七七〇条一項五号に関する原審の解釈適用を論難するものであるが、元来婚姻生活破綻の経緯は概ね極めて微妙複雑であり、故意過失その他責任の所在を当事者の一方のみに断定し得ない場合等の存することは何人もこれを否定し得ないところであつて、右七七〇条一項五号に所謂「重大な事由」もこれを必ずしも当事者双方又は一方の有責事由に限ると解する必要はないのである。そして今これを本件について観ると、原審は所論のように婚姻継続を困難乃至不能ならしめる事由が上告人のみに存する旨を認定判断して居るものではなく、上告人の前記所為を始め被上告人の所為等に照せばそれが上告人、被上告人の双方に存するとなして居るものであることを原判決の行文から容易に看取し得られるのみならず、原審認定に係る事実関係の下に於ては原審の右判断の相当であることを肯認するに足り、論旨第六点、第八点等掲記の諸事情を斟酌してもこれを条理、公序良俗に違背するものと為すに足りない。

論旨はなお、憲法一四条の精神を云々するが、原審は前記のとおり婚姻を継続し難い重大な事由が上告人、被上告人の双方に存する旨を認定判断して居るものであるから、これを上告人のみに存する旨認定判断したものとする所論はその前提に於て既に失当であり、又論旨第一点掲記の当裁判所昭和二七年六月一七日判決は本件に適切でなく、その余の主張はすべて原判決に影響を及ぼすことの明かな法令の違背を主張するものと認められない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(最高裁判所第三小法廷 裁判長裁判官 島保 裁判官 小林俊三 裁判官 垂水克己)

○昭和三〇年(オ)第七五号

上告人 田辺トミ

被上告人 田辺太作

上告代理人増淵俊一の上告理由

第一点 婚姻生活は男女両性の協力、親愛、忍容によつて成立する。

即ち或程度の寛容と自己犠牲が必要である。併し乍ら忍耐には限度がある。そしてその限度以上の忍従を求めることは正義と公平に反する。一方が唯我慾にはしり他方に盲従を強いるのみであればやがては共同生活の破綻を来し親愛は憎悪に変じ美しい協力は醜い闘争と化する。

原審判決が、第一審判決の認めた事実関係全部を引用しつつも上告人の側に婚姻を継続し難い重大な事由があることを認たのは前記の条理と法律の解釈を誤つたものである。

即ち被上告人は上告人と結婚して三男五女をもうけ既に二人の孫をもつ身であるが生来淫乱で殆どひつきりなしに妻の他に女をもち性病癒ゆるときなく性短気で些細なことに上告人を叩擲し蹴飛ばし同居に堪えざらしめ子や孫と別居して妾と同棲し、それがもとで上告人との婚姻継続が困難になり数年来調停や裁判をつづけているのであるが、かくの如き夫である被上告人の側から民法第七七〇条第一項第五号によつて離婚を請求することは許さるべきでない。婚姻継続困難の原因につき被上告人に責任があるのだからである。これでは我儘横暴な夫が自分の不身持を棚にあげて貞淑な妻にいいがかりをつけ妾と計つて正妻を追出すことを奨励する結果となるであらう(同旨、昭和廿七年六月十七日最高裁第三小法廷判決・集六巻二号一一〇頁)。原判決は当然破毀すべきものである。

第二点 原審判決は理由二、に於て「(前略)控訴人(被上告人)は被控訴人(上告人)と結婚後被控訴人以外の女性と屡々関係し、これがため被控訴人をして有形無形の心労ないし損害を与えたことは尠くないが、これら控訴人の女性問題に基因する家庭内の円満欠缺は被控訴人の気の強い性格と後記のような妻としての生活態度に反省すべき余地があつたことにも原因があつた云々」と述べているが男性のみ妻以外の女と勝手我儘な性生活を繰返し妻に対しては人形の如く従順なれと要求することは驚くべき男尊女卑、人権無視の封建思想で憲法第十四条の精神に反する。又判旨の如き盲従を要求することは普通人の感情にとり不可能を強いるもので非常識である。かかる前提に立つ原審判決は民法第七七〇条第一項第五号の解釈を誤つたもので破毀されねばならない。

第三点 原審判決は同じく「(前略) 被控訴人が昭和二十三年夏以降宮城県峨々温泉、福島県飯坂温泉等で静養した際や帰来後における被控訴人の当時雇人であつた訴外佐野一夫に対する態度には控訴人をして疑惑の念を抱かしめるような事実が尠くなかつたこと云々」と述べこれを婚姻継続不可能の理由にあげるが、右は単なるつくりごとのいいがかりであつて第一審判決が採用しなかつたし、原審もその判断を引用しているところであるからこれを被上告人側からの離婚請求原因とすることは前後撞着し法の解釈を誤つたものである。

第四点 次に原審判決は同じく上告人が訴外佐野等と共同して共進(原審の共信は誤り)タイヤー商会を経営していることを婚姻継続不可能の理由にあげるが、これは論理が逆であり被上告人のことを棚にあげた議論である。上告人等は正しく生きるために協力して働いているだけである。

被上告人が妾狂いや虐待をやめるならば上告人は喜んで帰宅するのである。今の状態では帰りたくとも帰れないのである。妾をかかえてこちらに向かつて拳骨をふりあげている夫の許へ帰れというのは正妻にとつて酷である。かかる前提に立つ原審判決は法の解釈を誤り破毀を免れない。

第五点 次に原審判決は当事者間に再度調停がなされ不調に終つたことを婚姻継続不能の事由にあげるがこれは結果論で誤つた判断である。上告人が種々反省の結果離婚に応じなかつたのは子女の将来を思い婚姻継続を念願したに外ならない。又第一審係属中に離婚と財産分与等請求の反訴状を提出したしこれは必ず勝訴の判決を得られる事案であるが、上告人は夫たる被上告人の蓄妾を忍容し子女のため一身を犠牲にしようと決心して右反訴状を撤回したのである。これをしも離婚を希求する行動と呼ぶのは牽強附会である。又調停申立があつた為に別居したのではなく同居不可能になつてから後に調停が行われたのであるから原審判決の推論は矛盾がある。前記の事実は民法第七七〇条第一項第五号の事由にはならない。

第六点 次に原審判決は当事者間の調停中に被上告人が訴外高橋はると結婚し右高橋はるは上告人の子女を自己の子と同様に愛する旨言明していることをあげて上告人らの婚姻継続不可能の事由とする。右の結婚は内縁関係の誤りであろう。右高橋はるはその姉某と共に料理店、旅館の女中上りでその姉某も亦他の妾になつているものである。右はるが上告人の子女から嫌われており愛情の一片も示したことがない事は第一審で証人佐野和子、上告人本人の陳述で明かである。又本妻の子が妾と親愛するという如きことは作り話にあるのみで稀有のことである。又これを空想盲信する原審判決は世間知らずである。本件に於ても右はるは上告人や上告人の長女和子らと激烈に争い合つており、上告人の子らは父親の妾宅に寄りつかない実情である。原審判決は右高橋はるに関する前記判断は条理と公序良俗に反し民法の解釈を誤つたものである。

第七点 次に原審判決は「(前略) 従つて今や控訴人と被控訴人との間には真実婚姻生活を維持する意思は失われているものであることが各認められる云々」と軽々に結論を述べているが右は被上告人に関することであつて上告人には当はまらない結論である。このようにして四十年近い婚姻生活に疲れ八人の子の母となつた本妻が妾のために簡単に追出されて了つてよいものであろうか。愛情がないのは性病の故である。それ故に上告人は被上告人が他の女に手を出し妾をもつてもこれを黙忍しようというのである。唯子女の傍に老後を安穏に終りたいだけである。上告人の子女は専ら上告人に心を寄せ、日曜といい休暇といい小遣を貰いに宇都宮の上告人方を訪れ一つ床に眠り別れは泣きの涙で帰つてゆくのである。訴外三男英夫は東京への往復に立寄つて金をせびるがこれも上告人のつらい楽しみである。右英夫は昭和廿九年十一月十六日を以て成年になる。その他四女と五女の二子もやがては成人するであろう。それまでは妾に本家を渡さず子供らの毎日を平穏ならしめたい上告人の念願である。子女は上告人の許に引取ることが出来ないが長女和子夫婦がこれを監護して母代りをつとめ、被上告人は妾宅から本宅の工場へ朝来て夕帰り子供らと言葉を交すこともしない。愛情は誰が最も深いか、上告人をのみ非難するのは真に軽率なものである。又被上告人は親権者としての資格を欠くものである。このことは成年近い子供等の意思に聴くのが第一の早道である。以上当事者間、少くとも上告人側に婚姻の意思なしとの判断は条理に反し破毀を免れない。

第八点 原審判決は右の通り幾多の些細な事項を列挙して婚姻継続困難の重大事由であると断ずるのであるが、右はこれを上告人側が主張する場合は格別、その原因の責任は専ら被上告人側にあるのであつて、被上告人がこれらをあげて離婚を主張し上告人を問責追及するの具に供するのは誤りである。のみならず上告人敗訴の結果は無責の上告人が除籍され相続権を失い親権を剥奪されて路傍に抛り出され凡ゆる悲惨を一身に担わざるを得ない。この結果は極めて不公平であり健全な人類の良識に反する。原判決は結果論として破毀を免れない。

仍て原判決全部に対して不服を申立てる次第であります。 以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例